2018年07月



どうもどうも。
相変わらず気分の波が激しすぎて
自分でもその波に乗れてません☆←
Airiです!(それでいいんか…😅)


さて今日は久々すぎるくらい久々のやろ100!
一体いつぶり…🤔って考え込んでしまうほどですが←
早速いってみましょう!←

その前に「やろ100」とは?🤔
って方はコチラをどうぞ!

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やろ26
もう使ってない物達を捨てる
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①やろ100初期に発掘(笑)された調理用具たち。
②何年前のやつ?なメガネ。
③数年かけて洋服を減らしていったおかげで
    使わなくなったハンガーたち。
④何で使わなくなったかも覚えてない程
    放置されたリラックマのマグカップ(笑)


塵も積もれば山となる
とはよく言ったもので。。。

使わなくなったもの達を保管しておくにも場所が必要だし
その場所って家賃って形でお金が出ていってるんだよね。
って何かで見た。。。
(断捨離の山下ひでこさんのブログかな?)

全部(市の決めた)捨て方が分かんなくてそのままにしてた物。
電話して聞いたらものの5分で解決(笑)

結局、「分からないから」「面倒だから」で後回しにし続けてただけのことなんだよね(笑)

これを捨てたから劇的に何かが変わる!!!
なんてことはほぼないけど
「捨てる経験」で自分に対する自分の見方が変えれるんじゃないかな、って気がしてる。








石坂 京子 さんという方のブログを読んでいて
目に留まった一文。

トラウマも思考の歪みもなくなるメンタルの片付け
http://kyokoishizaka.blog.jp/archives/10478241.html


〜引用ここから〜
子供時代を振り返ったとき、
「理解のある優しい両親と幸せな家庭に育って、心から両親に感謝しています!」
と言う人もいますが、
「不仲な両親と荒れた家、気持ちを押し殺していました。子供の頃の記憶は思い出すと辛くなるんです」
と言う人も多くいらっしゃいます。
〜引用ここまで〜




私は後者でした、というか後者です。と言うほうが正しいかな。

父は私が1歳の時に蒸発(母親談)
母は父がいない父の実家に世話になるわけには…と思ったのか
1歳半くらいの頃に父の実家を出たらしい。
母もプライドがあったのでしょう。
実家には戻らず、私が物心ついたころには小さなアパートで母と二人、母子家庭でした。

幼少期、父との面識は片手で足りるほど。
しっかり私の記憶に残っているのは、小学校4年生の頃に一度、
中学2年生くらいの頃に一度、
高校2年か3年の頃に義理の兄の披露宴で会ったこと。それだけでした。

お盆やお正月のときには、父の実家へ行き、祖父母に会っていましたが
父は県外で暮らしていたため会うこともなく。

そして23歳か24歳になる頃、父から私に直接連絡が来ました。
「祖母が痴呆症の初期症状にある。
 長男である自分が実家に戻らないといけない。
 そのために必要な書類だから母へ手渡してほしい。」

渡された書類は区役所の封筒に入っていました。
実は私の両親、籍は抜いてなかったんですよね。
で、沖縄に引き上げてくるにあたって今内縁にある人を正式に籍に入れたい、と。

私は腹がたちました。
今まで散々好き勝手やってきたくせにまだ勝手にするのか。
一体人を何だと思ってるんだ、どこまで馬鹿にすれば気が済むのか、と。

父に何も言い返せない自分にも腹が立った。

その日のうちに母に書類を渡しに行った。
母も怒った。当然だろう。
しかし母は父への怒りを私にぶつけてきた。
私は父への怒りよりも目の前にいる母への怒りのほうが上回って

「私が生まれた当時、なにがあってこうなったのかは知らないが
 いづれにしてもお前ら2人がやってきたことだろ!
 むしろ私は両親がいてしっかり愛情を注いでもらいながら
 一般的な家庭で育つということを経験させてもらえなかったんだぞ?
 そこも踏まえた上で私に言っているのか?
 いい年した大人だろ!ふざけんな!
 文句なら私じゃなく直接お前の旦那に言えよ!」
と強く当たった。

もちろん本来、育ててくれた母親に言うべき言葉ではないのだろうけど。
母が怒る気持ちも十二分に理解できるけど。
書類を渡した車内は二人きりの環境だったから
私しか言う相手がいないのも分かってる。

それでも。
そのこと自体が嫌だった。
数年ぶりに会った父親。
やはり「自分の親だ」と認識している以上、いくつになっても私は彼の娘なのだ。
物でもいい。愛情を差し出してくれるのではないかと淡い期待をして会いに行った。
しかし渡されたのは離婚届。
「お前のことなど愛してはいない」と言われたような感覚で
鳩が豆鉄砲を食らったとはこのことか、と言わんばかりに
ぽかんとして書類を受け取ったことを覚えている。

そしてしばらくして、2人のなかで話がついたのだろう。
再び父に母を連れてくるように言われた。
そして粛々と手続きは進み、2人は離婚。
内縁にあった人と父が再婚をした。

そして平成26年2月7日。
私が25歳になった年に父と新しい嫁さんが沖縄へ来た。
私はやはり「一般的な家庭」「両親からの愛情」
「無条件に存在を認めてもらえること」への憧れが強かった。
だから片道2時間かけてでも定期的に会いに行った。
新しい嫁さんとも上手くやろう、仲良くやろう。と思って交流を図った。
でもやっぱり上手くはいかなかった。
新しい嫁さんには「あなたワガママね」なんて言われた。
私からすれば彼女も十二分にワガママなのだが。
まあその話は追々。

今私が29歳。もう4~5年も前のこと。
でも私はこのことは一生忘れないだろう。
そしてこれからもきっと、父を。
父のこの行動を恨み続けながら生きていくのだと思う。







どうもどうも。
辛うじて台風の直撃をまぬがれた沖縄本島からAiriです(^^)

我が家、テレビがない(捨てるつもりで捨て損なっているやつ…)ので
台風情報はおろか県外の大雨の被害もしっかりとは把握していないのですが(汗)

たくさんの方が被害に合われているようですね(´・ω・`)
亡くなられた方のご冥福を祈るとともに
被害にあわれた方が一日も早く日常を取り戻せるように祈っております。

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本当はもっと沢山やりたかったんだけど
私のLINEポイントが80くらいしかなくて。。。
(LINE画面上の選択肢が)
50ポイントか100ポイントの選択だったので
少ないですが50ポイントを募金させて頂きました。
ほかの方法でも機会があれば募金しようと思います。

どうか一日も早い日常に戻れますように。



どうもどうも。
毎日1回は更新しようと思いながらも
亀更新なAiriでございます☆


前々回、エンストした…なんて記事をアップしまして。
あれから3週間が経とうとしています。(早い…)
まあ相変わらずエンジン(私の心・体)の調子はいまいちなんですけどね(苦笑)


3、4年前にもエンストして、休職→復職→退職。と経験してまして。
今回もガッツリ派手に止まっちゃいました…。


この3週間、ずっと考えてました。
復職して再度がんばるべきなのか
退職して運転代行の仕事に戻るのか。
はたまた全く違うことを始めてみるのか。


今もまだ、復職か退職かの2択では答えは出せてません。


でも自分がどうなりたいかって考えたら答えはひとつなんです。
精神面、金銭面、すべてにおいて余裕が欲しい。
お金持ちになりたい。好きな人に囲まれて仕事をし、暮らしていきたい。
好きな人が困っているとき、助けてあげられる自分でありたい。


そのために出来ることって何なんだろう。


ちなみに私がブログやりたいって思ったキッカケって
ライブドアの公式ブロガーさんがイベントで集まったりしているのを見ると楽しそうで
あわよくば私もその中に入れたら…なんて思ったことと。

イケハヤさんやはあちゅうさん、あんちゃさんなどインフルエンサーと呼ばれている方々が
ブログで稼いだよ!なんて言ってることが凄いことに見えて
縛られない生き方をしているように見えて。
それが羨ましいって思った。私もあんなふうになりたい。って。
そうすれば、「好きな人が困っているときに、助けられる自分」になれるかなって。


たぶん会社の人とか周りの人には
「そんなのやめとけ」とか言われるんだろうけど。


思い返せば、前回退職したとき「運転代行の仕事する!」って言ったときも
「昼夜逆転は体に悪い」「女性なんだから将来の出産に備えて昼の仕事したら?」
とか散々言われたやwww
もちろんその意見にも一理くらいあるんだろうけど。
私の人生は私のものだし、それを言った彼ら彼女らが責任を取ってくれるわけでもない。
ならば一回限りの人生、好きに派手に生きてやろうじゃないか。

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